真島俊夫先生について

真島俊夫 (作、編曲家、トロンボニスト)

クラシックが好きで音楽にのめり込んだが、子供の頃から機械の原理を 理解することや設計する事が好きだったため、当然のように音楽の仕組み、特にオーケストラのサウンドに興味を持ち、高校時代は授業中に教科書に隠したミニチュ ア・スコアを眺めて興奮していた。そして、徹夜で書いた編曲を翌日はクラブ活動の吹奏楽部で音にしてみるという生活を続けていた。大学は工学部に進んだが、ジャズに出会ってしまい、これまたのめり込 んでしまう。以来、シンフォニックな響きとジャズ・イディオムの融合に心を奪われ 続けている。しかしながら、コンボでジャズを演奏する事も好きで、いまだに気の合う仲間達とライブをする事もあり、これは楽しくてしょうがない。

 

僕はパリ(特にサン・ジェルマン界隈)と赤ワインが大好きで、毎年 1~2回はパリを訪れるが、パリは常に何かインスピレーションを与えてくれる美しい街だ。近年、毎年11月の第三木曜日に、ボージョレ・ヌーボー解禁を祝うというライブ・パーティーを、紀尾井町の「オー・バカナル」というカフェで開催している。音楽とワイン(僕はボルドーの方が好き)が好きであれば当然の結果と も言えるが、僕がこれまでの音楽人生で知り合った、敬愛する音楽家達に演奏して貰い、皆でワインを飲んで楽しむ贅沢な会だ。クラシック畑、ジャズ畑、ジャズ・コーラス、そしてシャンソン歌手までいて楽しい。

 

今年の4月、僕の編曲にサックスのフィル・ウッズとハーモニカのトゥーツ・シールマンスが参加してくれた。日本で録音を持ってニューヨークとブリュッセルに行き、ソロを吹き込んで貰った。フィルは77才、トゥーツは87才になるが、彼等の若々しく柔軟なアイデアや瑞々しい歌心は本当に素晴らしかった。

 

僕はスコアを書いて40数年になるが、スコアは演劇で言えばシナ リオだと思っている。 それだけでは単なる活字だが、それを演じる素晴らしい役者がいて輝き を得るように、素晴らしい演奏家がいてこそ初めて音楽になるのだと思う。 上手い演奏家が演奏すれば、どんなスコアでも一応の音にはなるが、そこには感動は無い。 やはり、演奏家を本気にさせるスコアが良いスコアだと思う。僕は、そういうスコアを書いていきたい。

(日本作編曲家協会HPより2009年7月2日記事)


プロフィール

山形県鶴岡市出身。

山形県立鶴岡南高等学校卒業(在学中は吹奏楽研究会に在籍)、神奈川大学工学部中退(在学中は吹奏楽部に在籍、パートはトロンボーン)後、ヤマハ・バンド・ディレクターズ・コースへ入学、兼田敏・内堀誠に師事。 吹奏楽のオリジナル作品やジャズを多く書いている。

 

全日本吹奏楽コンクール課題曲をはじめとする数多くの吹奏楽曲を作曲しているほか、EMIミュージック・ジャパン(旧東芝EMI)が出版しているNEW SOUNDS IN BRASSシリーズへの編曲を受け持つなど、さまざまなジャンルの楽曲の吹奏楽編成向けへの編曲も行っている。

 

吹奏楽向けの楽譜を取り扱う出版社「アトリエ・エム」代表を務めた。

 

 

吹奏楽のための代表作品には 1985 年度全日本吹奏楽コンクール課題曲となった交響詩『波の見える風景』、同'91『コーラル・ブルー』、同'97『五月の風』、そして 『ミラージュ I』『三日月に架かるヤコブのはしご』『虹は碧き山々へ』『巴里の幻影』 『五つの沖縄民謡による組曲』『ミラージュIII』等がある。 また99年の『ミラージュII』は同年7月にパリのギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽 団により初演された。

 

2001年に東京佼成ウインド・オーケストラの委嘱で書いた『三つのジャポニスム』 は、これまでにない日本を描いた曲として、ヨーロッパやアメリカでも高評を得、 数多く演奏されている。

 

これらの作品は日本、アメリカ、オランダで出版されている。

 

近作の『鳳凰が舞う』は2006年12月、フランスのリールで 開催されたクー・ド・ヴァン 国際交響吹奏楽作曲コンクールに於いてグランプリを受賞。 2008年6月、ブラジルのトム・ジョビン音楽学校の委嘱で書いたマリンバとバンドの 為の協奏曲「大樹の歌」をサン・パウロで初演、好評を得る。

 

また映画等の音楽としては'99 NHKTV水曜ドラマシリーズ『噂の 伝次郎』 '08年ドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子」(文部省『特選』受賞) の音楽を作曲。

2008年8月、オリジナル作品のCD「真島俊夫作品集」がキング・レコードより発売さ れる。

 

2016年4月21日、がんのため逝去。享年67歳 。


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